緊急です!!
『銀河鉄道の夜』の起承転結
を教えてください!
お礼は100枚です!
起
ある小さな学校に、ジョバンニとカムパネルラという親友がいました。 二人は幼馴染で、以前は良く遊んでいたのですが、最近ジョバンニの父が漁から帰ってこなくなり、母が病気で倒れて、貧しいジョバンニは働らかなくてはいけないようになりました。
ジョバンニは仕事のために疲れてしまい、学校でも勉強にも遊びにも身が入らなくなり、いじめられるようになってしまいました。 カムパネルラはジョバンニのことを気遣ってくれるようですが、すっかり疎遠になり、話しかけてくることさえなくなってしまいました。 放課後みんなは今夜始まる星祭りの計画で盛り上がっていましたが、ジョバンニは一人仕事に出かけて行きました。
ジョバンニが仕事を終えて家に帰ってくると、母親のためのミルクの配達が来ていませんでした。 ジョバンニは食事を簡単に済ませるとミルクをもらいに、街へ出かけましたが、店の主が不在で後で来てくださいと言われました。
仕方なくジョバンニは、祭りを見物することにしましたが途中、学校の友達の集団に出会ってしまい、またいじめられてしまいました。 その集団の中にカムパネルラを見つけたとき、もう祭りを見るのも嫌になり、一人さびしく天気輪の丘に登り、星を眺めてすごしました。 すると突然目の前に不思議な汽車がやってきました。
承
汽車の中にはカムパネルラがいて、二人はやっと邪魔なほかの級友たち抜きで話し合うチャンスに恵まれました。 二人は白鳥の駅で化石採取現場を見たり、鳥捕りの猟を眺めたりして楽しい時を過ごしました。 会話もはずみ楽しい旅は永遠に続くように思われました。
ジョバンニ途中から乗ってきた猟師を内心馬鹿にして邪魔に思っているうちに、どこかに消えてしまいました。 それと入れ違いに男の子と女の子を連れた家庭教師が乗って、ジョバンニたちの隣に座りました。 彼らは船が沈んで気がついた時ここに来ていたと告げました。 ところがカムパネルラと女の子が仲良くなってしまい、ジョバンニは孤独を感じてすっかり機嫌が悪くなってしまいました。
しかし、なぜこんな楽しい所へ来てこんな寂しい気持ちになるのだろう?と疑問を持ち、自分側に問題があるのはないかと思いはじめました。 すると女の子に抱いていた冷たい感情が溶けて行きました。 女の子は二人にサソリの火のエピソードを話しました。
「沢山の虫を殺して食べていたサソリが、イタチに食べられそうになったとき、必死で逃げようとして井戸に落ちて、結局自分の人生が誰の役にも立たなかったことに気づき、神に祈った時自分の体が燃えて、赤い星になりました」というストーリーでした。
ジョバンニは、自分を不幸にしていた原因は、これだと思いました。 他人のために自分の体を使いたいという気持ちが欠けていたんだと気づいたのです。 女の子たちの一行は、母に会うために神の待つ天上と呼ばれる南十字の駅で降りると聞いて、宗教論争までして引きとめましたが無駄でした。
転
結局、カムパネルラと二人きりとなり、僕たち二人はこの先ずっと「みんなのための本当の幸福のためならば、どんな事でもしてゆこう」と誓い合いました。 しかし石炭袋の穴に列車が近づいたときカムパネルラは母を見つけ、ジョバンニを残して去ってゆきました。 ジョバンニは親友に裏切られたと思って泣きました。
結
気がつくとジョバンニは天気輪の丘に戻っていました。 ミルクを受け取って川に戻ったとき、カンパネルラが川に落ちたザネリを助けて犠牲になって流されたという真相を知らされます。 そのときジョバンニは二人の誓いを思い出し、親友に裏切られたのではなかったと悟り、思いを新たに家路を急ぎました。
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銀河鉄道の夜について、説は数多くあって、決定的なものはないのですが、宮沢賢治は小学校2年の時に、川にさらわれて友人を失って、橋の上で夜の川を見ながら呆然としていた経験をしており、妹が亡くなった時思い出したものと思われます。
また仏教(日蓮宗)に熱心に傾倒していたので、この作品はこの話と関係があると思っています。↓
http://daiganji.ftw.jp/u60228.html
http://www.hokkeshu.jp/houwa/014.html
ただし賢治のお話しは、「お坊さんに食べ物を」から「みんなのために最善を」という(おそらく妹から受けた)キリスト教的な影響がミックスされているみたいですけど。
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