「銀河鉄道の夜」の表記について。
この作品の中では、「ハレルヤ」という言葉を
「ハルレヤ」と表現していますね。
これはキリスト教要素を多く出さないように、
作者の賢治が意図的にしたものですが、
たまに文庫や漫画などでも、この部分が
「ハルレヤ」でなく、「ハレルヤ」と、
そのまま表記されている事があります。
これは出版社側の、確認ミスなのでしょうか?
それとも意図して、読みやすい本来の単語に
変更したのでしょうか。
岩波文庫もそうだったので、驚いています。
85年アニメの資料集にも、その表記が。
もちろん、ますむらさんの漫画はちゃんとなっていました。
よく読まれてのご質問のことでしょうし、また、質問者さんに明かに悪意がないことを信じて回答させて頂きます。
質問者さんは、純粋に賢治の文学が好きで、読み込まれているのだと思います。
そして、大半の読者が気にも留めないようなことを、何か「意味」があるのではないかと思い、知らず知らずの内に真実に近づき、こうして質問されてしまったのだと解釈します。
回りくどい言い方は抜きにしましょう。
しかし、私の以下のような回答は質問者さんの賢治の読み方を歪ませてしまう可能性があります。
こういった解釈もあるのだな、ぐらいの気持ちで聞いて頂ければ幸いです。
結論から言わせて頂ければ、質問者さんが発したこの「問い」は極めて危険な種類の質問です。
ご存知の通り、『銀河鉄道の夜』内の「ハレルヤ」を意味する「ハルレヤ」は第一次稿から決定稿まで全て「ハルレヤ」で統一されています。
しかし、パブリック・ドメイン等によって旧字や誤字などを表記変更することが可能となり、作者の思想を尊重する必要もまたなくなりました。
既にご承知のことだとは思いますが、賢治は熱心な日蓮宗の信徒でした。
一方で、キリスト教的な隣人愛にも惹かれていた賢治は「ハレルヤ」という直接的な言葉の使用を避けるために「ハルレヤ」を暗示的に用いたのですが、それは文学的な理由というよりは、信仰的な理由からでした。
「ハレルヤ」にしなかった、というよりはできなかった、と言ったほうが寧ろ適切でしょう。
賢治が熱心な日蓮宗徒と先に書きましたが、正確に言えば「熱心な国柱会の会員」ということになります。
国柱会は日蓮系の右翼団体で田中智學によって創設されたものです。
国立戒壇を礎としており、有名な「アインシュタインの予言」を捏造した人物です。
要するに、完全な国粋主義者であり、日本(日蓮宗)こそが世界を先導し、理想郷を建設できる使命を持っている、という理想主義に貫かれています。
賢治はトシの存命中、わざわざ鶯谷の国柱会の本部にまで赴き、智學の講演を聴きに行き、両親の反対を押し切り、最終的には入会します。
「羅須地人協会」も智學の思想に啓発されたもので、賢治の法名「真金院三不日賢善男子」もまた国柱会から授与されたものです。
賢治の遺形は現在、国柱会本部の妙宗大霊廟に納鎮されています。
ですから、賢治の創作のバック・グラウンドに国柱会の影響が深く反映されているのは言うまでもありません。
即ち、国柱会によって統治された理想世界こそが、賢治の描いたイーハトーヴォだったのです。
ここまで読めば、「ハルレヤ」の出版社によって変更されるかされないかの意味がお分かりになると思います。
例えば、岩波がどのような思想態度として出版業界に位置しているのか…
これ以上は言うまでもないでしょう。
しかし、賢治は幼少期は真言宗でしたし、『法華経』やキリスト教への親愛から、国柱会に傾倒していたとは言え、極めて柔軟な宗教観を持っていたものと思われます。
賢治が国柱会の思想をもとに作品を構築していたのは事実ですが、だからと言って読み方を強制されなくてはならないということにはなりません。
最終的には作品と作家個人の思想とは分けて評価すべきだと私は思いますし、賢治が右翼だろうが何だろうが、そのことによって作品の価値が貶められるようなことはない、ということを最後に言い添えておきます。
ハレルヤとハルレヤ問題は有名な話ですので、誤植とかミスではなくて、出版社の解釈によるものです。
キリスト教要素を多く出さないように、作者の賢治が意図的にしたものという従来の解釈は正しいです。 それは「カトリックの尼さんが」ではなく「カトリック風の尼さんが」になっていることからもうかがえます。 これは、後に宗教論争のシーンが来るためであって、さすがの賢治も他宗教の信者に多少配慮してるわけです。
宮沢賢治は亡くなるまで熱心な日蓮宗でしたが、国柱会に対しては多少失望していたようで、正確にいうと日蓮宗を中心とした独自の宗教観を貫いたのです。
宮沢賢治のバックには遺族を中心としたグループが控えていて、作品の解釈に当たっては腫れ物に触るような雰囲気がありました。 ハレルヤという記述が増えてきたということは、その圧力が弱まってきたことの現れだと思われます。
まず、ハルレヤが「キリスト教要素を多く出さないように、作者の賢治が意図的にしたものですが」というのは間違いです。こういう主張の根拠は、自筆原稿では最初に「ハレ」と書きかけたものを消して「ハルレヤ」に直してある、という事実から、賢治が間違えてハルレヤと書いたのではなく、意図的に変えたのだとするものですが、この主張は、すぐ後に「黒いバイブル」「十字架」「カトリック風の尼さん」などが出てくることから否定できます。もし賢治にそういう意図があったとしたら、「カトリック風の尼さん」の「カトリック風の」という部分をまず抹消したはずです。従って、これは賢治の書き間違い(ハレルヤと書こうとして、ハレルヤとハルレヤとどっちが正しいのか曖昧になってしまったのでいったん消して、とりあえずハルレヤと書いておいた)である可能性が高いと推察できます。
出版物において「ハレルヤ」と表記されている件についてですが、もともとこの作品は賢治の生前には出版されず、また、出版を意図して浄書された原稿ではなかったので、非常に読みにくい生原稿を第三者が判読して、賢治による書き間違い(と校正者が判断したもの)を訂正した形で(ハルレヤもハレルヤに直されて)出版されました。現在でも一部の出版物ではその形が踏襲されています。ますむらさんは、賢治の原稿を忠実に再現することを意図した筑摩書房版校本全集の編集者である天沢退二郎さんの協力の元に漫画化されているので、校本全集の本文を採用しています。
「青空文庫」には3種類あったので見てみたら、底本が新潮文庫、角川文庫のものは「ハレルヤ」、古い岩波文庫は「ハルレヤ」であった。
若い人に読みやすい文章で作品を提供するという文庫本の性格上、原文重視よりは、分かりやすさを優先させた手直しなのでは。
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